かぐや姫の物語に隠された都市伝説

スタジオジプリ高畑監督の遺作となった「かぐや姫の物語」、この映画にも都市伝説が存在します。

竹取物語」を原作としたジプリのアニメ「かぐや姫の物語」、この作品を最後に名監督高畑勲は亡くなりました。

丁度このころ、宮崎駿は映画「風立ちぬ」を最後に引退を表明し先輩の高畑監督にも同じく引退を即していました。

しかし、高畑監督はこの「かぐや姫の物語」に注力し引退はしないと表現していたと言われます。

そんな高畑監督の遺作となってしまった「かぐや姫の物語」、それにまつわる都市伝説的なお話をご紹介します。

宮崎駿監督と高畑勲監督との関係

 

本作の監督、高畑勲宮崎監督にとって親友であり、ライバルでもあった人物でした。

宮崎駿より5歳年上で、公私ともに宮崎駿をサポートしながら共にジプリを盛り上げていた高畑監督ですが、2018年に82歳で亡りました。

宮崎駿とは「風の谷のナウシカ」をめぐって対立し、お互いの関係を断絶していた時期もありましたが、終盤は和解をしていたそうです。

 

宮崎駿はつねに高畑勲を意識した映画製作をしていたようで、「風立ちぬ」でもかなり高畑勲を意識した映像を作っていたそうです。

二人の関係はライバルであり同志でもあったということになります。

映画のタイトルに「ほ」が入っていない?

 

高畑監督の過去作品には「」や「」がタイトルの合間に使われています。

高畑監督の代表作『火垂るの墓』や『おもいでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョとなりの山田くん』。

このようにこれらの作品には「ほ」や「ぽ」が使われています。

しかし本作では「ほ」や「ぽ」ではなく「の」が使用されています。

 

それはなぜか、高畑勲の親友、宮崎駿が「風立ちぬ」を制作し「一緒に引退しよう」と持ちかけられていました。

しかし、高畑勲は生涯現役でいることを貫いたそうです。

宮崎駿に対しての「NO」を貫くためにタイトルから「ほ」や「ぽ」を省き、「の」をつけることで牽制していたのではないか、と言われています。

「かぐや姫の物語」を制作したのはアニメーターの為だった!?

 

あるネット情報によると本作を制作したのは高畑監督の右腕と言われる一人のアニメーターの為に作られたのではと言われています。

そのアニメーターの名は田辺修と言い、長年多くの作品で高畑監督の元、活躍していました。

 

高畑監督は長年「平家物語」を製作したいと思っていて、「ホーホケキョとなりの山田くん」の後に「平家物語」の中でも人気のある「巴御前」を映像化しようと考えていました。

しかし、高畑監督の右腕だった田辺修が「軍記物といえば、人が殺し合う。それはやりたくない」と拒絶したことにより「竹取物語」に変更したと言われています。

原作「竹取物語」に隠された謎、実は宇宙人だった!?

本作のベースになった「竹取物語」、通称“かぐや姫”と言う物語名で多くの人が知っていると思います。

実はこの竹取物語、そして“かぐや姫”の話が「宇宙人の話」ではないかと言われています。

それは、多くの人が知っている物語の成り立ちが、かぐや姫は月から来たと言う事だからです。

この月からやって来たというお話は、現代的な価値観で見れば宇宙人として捉えられることができます。

たびたびテレビのオカルト番組や宇宙工学のセミナーなどでも「かぐや姫は宇宙人であった」と語られる事がありました。

また、アニメ、ドラゴンボールやスーパーマンのように「宇宙から地球にやってきた宇宙人の話」が一つの古典として語られている事から「かぐや姫は宇宙人だったのではないか」と言われます。

とはいえ、「かぐや姫」(竹取物語)は平安時代に作られた民話です。

作者は不明ですが、宇宙人という現代的な価値観を想定して作られたものではないと言えるでしょう。

「竹取物語」と「かぐや姫の物語」における「帝」の違い

原作になった「竹取物語」と映画「かぐや姫の物語」における「帝」は間逆の扱いを受けている事で話題を集めていました。

まず、原作「竹取物語」では帝とかぐや姫との間には不思議な関係があります。

3年間も手紙のやり取りをしていたり、別れの際には帝に置き土産ともいえる「不死の薬」と手紙を置いていくなど、それまでの彼氏候補の中では破格といえるほど親密な関係にありました。

しかし、映画「かぐや姫の物語」に出てくる帝は完全な道化で、明確に主人公のかぐや姫を不愉快な気分にさせる存在として描かれていました

この変化について、高畑監督が以前から左よりであることが有名ですので、映画の中で天皇制を批判したかったのではないかといわれています。

翁は毒親?登場人物クズばかり!?

 

「かぐや姫の物語」で検索すると「翁 クズ」というようなキーワードや「登場人物クズばかり」というようなキーワードがひっかかります。

実は翁だけではなく、「かぐや姫の物語」に出てくるキャラクターのほとんどが“クズではといわれています。

これはどういう事でしょうか。

まず、主人公のかぐや姫は複数の男性に自分へのアピールを要求するという今で言えば、悪女と言われるかもしれません。

次にかぐや姫に恋をする帝ですが、平気で抱き付いたりセクハラ行為を行い、あげくのはてには拒絶されても追いかけるストーカー行為まで見せました。

さらにかぐや姫と恋仲に落ちる幼馴染の捨丸も妻子がある身でありながら、家族を捨てかぐや姫と駆け落ちしようとするふしだらな男性でした。

 

さらに育ての親、翁はかぐや姫の気持ちも考えずに自身の出世と名誉欲のために帝や貴族と結婚させようとします。

毒親」と言われる由縁です。

このように見ると現代的な価値観では、登場人物はみなモラルに欠けた問題人物しか出てこないという評価も残念ながら当然といえるでしょう。

製作が遅れた理由はAKBのせい!?

 

本作は当初の企画では2012年に宮崎駿監督作品「風立ちぬ」と共に公開される予定でしたが、紆余曲折あり製作が遅れました。

 

様々な事情が囁かれていますが、2013年12月3日に行われた“もののけ姫”のブルーレイ発表イベントに参加したプロデューサー西村義明は当時公開していた「かぐや姫の物語」について触れ、冗談半分ながらも

色をチェックする担当がAKBにハマってしまい、AKBのPVばかり見て製作が遅れてしまった」と語っていました。

しかし、これが真相だったのか皮肉だったのかについては何もわかっていません。

かぐや姫の罪と罰ってなに?

 

本作のキャッチコピー「姫の犯した罪と罰」という言葉、これは一体何を指すのでしょうか。

 

原作「竹取物語」の事を思い出してみましょう。

竹取物語ではかぐや姫は月に帰る前に「月に帰りたくない」と翁たちに告げるシーンがあります。

「竹取物語」の中で月の使者が翁たちの前に訪れ、「かぐや姫は月で重罪を起こしたため地球に堕ちてきた」と語っていました。

この罪とはいったい何なのか、ということで現在でも多くの古典学者の間で議論になっています。

一説によるとかぐや姫は「月の王の愛人・妻であったのではないか」という話があるそうです。

王様の愛人または妻である身でありながら他の男性を愛したのか、それとも月で過ごした「月の王との生活」にウンザリして王の元から逃げだしたように出てきた、

それそのものが罪であったのか憶測されています。

しかし、原作者不明の物語「竹取物語」における真実は現在においても特定できていません。

では、ジブリが映画化した「かぐや姫の物語」におけるかぐや姫の罪とはなんなのでしょうか。

高畑監督のインタビューによると

  • 「かぐや姫は地球が魅力的であることを知った、これが罪になった」
  • 「月から追い出される時も希望で満ちていた」
  • 「地球にも汚い部分があることを認めることでこの罪は帳消しになった」

といったことが背景にあったことがわかりました。

つまり、映画「かぐや姫の物語」の中では地球に憧れを抱いた事が本当の罪であったということがわかりました。